-equal-
あざとい。
それは彼を形容するのにふさわしい言葉だった。
黒縁眼鏡、黒のタートルネック、物憂げな眼差し、読書。
手首をすっぽりと隠す袖丈はえも言われないむず痒さを覚えさせ、なるほど世の女子たちがこぞって熱心な視線を向けるはずである。
しかし天羽には、どうにもそれがあざとく思えて仕方がない。
狙ってやっているとしか思えず、特定の誰かを意識するのではなく、不特定多数の「女子」という生き物に対して見せつけるようにそれっぽい装いを演出しているのではないか、そう思った。
思った上で声をかける。
「なにそれ。」
待ち合わせのカフェで、いかにも快く思っていないトーンで口に出した。
すると読んでいた本から目線を上げた彼は、さして彼女の不遜を気にすることもなく、答える。
「なにって、ただのオシャレだよ。」
あまりに適当すぎる言葉に沈黙を返す。
すると、それだけでは不十分だと察したのか、彼は更に付け加えるのだ。
「知ってると思うけど、別に視力が悪いわけじゃないし、、なにか特別な意味があってこうしているわけじゃないよ。」
言った後で笑い、早かったね、といつもギリギリになって登場する彼女のことを揶揄するようにコメントするもんだから、余計に面白くはなかった。
更に続く。
「言ってみるならこれは」
「ただの気まぐれ、でしょ。」
けれどこれ以上を聞く必要はないとばかりに彼の言葉を遮って、天羽はだいたい予測がついていた正解を口にする。
するとぱたりと読んでいた本を閉じ、テーブルの上に置くとすでに終わりかけになっているティーカップに口をつけ、まるでなんでもないように、彼女の機嫌を損ねるように彼は言うのだ。
「どうして怒ってるの?」
少なくとも愉快な気分ではない、ということは察しているらしく、それがわかった上で悪びれもないその言葉は神経を逆なでするというもので、彼女の性格をよく知っているはずなのになんて空気を読まない男だと、常識人の同級生が聞いていたら肝を冷やすことだろう。
しかし彼は笑顔を崩さないままでその返答を待っている。
そこでタイミングよく男性店員が水の入ったグラスをテーブルの上へと置くだけの間があって、アイスコーヒーをノールックで注文する彼女がいて、当然目線は彼を凝視したままで、かしこまりましたと店員が立ち去っていくのを見計らって端的に一言。
「見てた。」
それは一体。
疑問符が舞い上がる土曜日の賑やかな店内。
そして彼女が指し示したのは彼の後方の席、そして自分の斜め後ろ、レジ付近に待機している女性店員。
「後ろの人も、あっちの子も、お店の人も、あんたのこと見てたよね。気付いてたでしょ。」
そう言われて初めて彼女の斜め後ろに視線をやって、目が合った女子高生と思しき女子があわてて目をそらすのを確認した上で、彼はあたかも知らなかったというような顔をしてごまかす。
するととぼけるなとでもいうようにため息をついた彼女は、更に続ける。
「まぁ、あんたが人目を引くのは今に始まったことじゃないから別にそんなことはいいんだけど、どうしても私にはわざとやってるように見えてしょうがないんだよね。そんなに周りに注目されたいの?あんたって、そういうタイプだっけ?」
そういうタイプとはどういうタイプだ、なんて言ったら余計に怒らせる。
ということはさすがにわかった。
けれどそれでも彼には反省をするという考えは思い浮かばず、むしろそんな彼女のことをニコニコとしながら眺めるくらいの余裕はあって、運ばれたアイスコーヒーがテーブルに置かれる様を十分に堪能し、それから運んできた男性店員を一瞥して、ようやくのことここで質問に対する答えを言葉にする。
「もちろんさ、きみの言っていることは正しいと思う。確かに僕はこうなることを予想していたよ。だけどさ、自覚があることよりも無自覚のほうが質が悪いと僕は思う。」
当然天羽は判然としない顔をする。
すると、やはり自分の考えは正解だと確信するように彼は言うのだ。
「さっきそのアイスコーヒーを運んできた彼も、きみが最初にこのお店に入ってきた時に入り口の近くに座っていたスーツの人も、きみの斜め後ろに座っている、さっき僕と目が合った女の子の彼氏も、きみのことを見ていたよ。自慢じゃないけど僕の彼女は見た目も中身もすべてが美しくそこにいるだけでぱっと空気が明るくなるし笑顔が最高に素敵だと僕は思ってるけど、残念なことにそれを感じているのは僕だけではないようで、無意識に周囲からの注目を浴びているのに彼女は全然気が付いていないんだ。これってさ、ものすごく罪深いことだと思わない?」
そう言われて初めて彼女は斜め後ろに視線をやって、目が合った男子高校生と思しき男子があわてて目をそらすのを確認して、それからもう一度目の前の加地葵の目を見返して、なんと言葉にしていいかわからない複雑な顔をして、次に目の前に置かれたアイスコーヒーに視線を移し思考停止して、もう一度彼のことを見た。
「…なにそれ、どういうこと?」
わからないわけではなかった。
けれどもわからないのだ。
これまでそのようなことは考えたこともなかったし、他人からどう思われているかというのは二の次で、そもそも恋人と一緒に居る時に他のことに気を散らすことは失礼だと思うし、無自覚なのは当然ではないか、と思った。
「だからね、今きみが感じていることは僕と同じだと思うんだ。もしそうだとするならむしろそれは、幸せなことなのかもしれないけどね。」
彼女は確かに、ここにきた時不機嫌だった。
けれどそれは周囲の人間が彼に注目していることに対してではない。
そんなことは百も承知、付き合い始めた時から、彼が転校してきた時からすでにわかりきっていたことだったのだから。
問題はそんなことではなく、彼が「敢えて」周囲の視線を集めようとしていたのではないかということで、そうだとするならばそれは。
それはとても。
「わがままなことかもしれないけれど、僕はきみのことを、僕だけのものにしておきたいと思うよ。」
それは立派な独占欲。
自分の大切な人を他の誰かに奪われたくない、好意的な眼差しで見てほしくない、そういう切なる想いがこの苛立ちにつながっているのだと、彼はそう指摘しているのだ。
「あれ、私ってそんなに重い女だったっけ?」
思い当たる節はない。
けれど確かに注目を浴びることがわざとではないのだとしたら、それはそれでさっきまでふつふつと感じていた心の熱が急降下する心地がした。
「さぁ、それはどうかわからないけど、少なくとも僕はきみが、僕のことを少しは特別に想ってくれているということがわかって嬉しいよ。」
満面の笑みで、ずいぶんと恥ずかしい男だった。
出会った頃はこの全力の愛が全て自分の友人に注がれていたかと思うと、彼女はよくもそんな煩わしさに卒業まで耐え抜いたものだと思う。
愛されることは悪いことではないけれど、こんなにも直球の想いをまともに受けていたら熱さでどろどろに溶けてしまい、いずれ果たして自分の本当の姿はどのようなものだっただろうかと自我を喪失してしまう。
いや、すでに今この瞬間、彼が言う通り少なくとも彼が自分以外の誰かを意識することを考えると快くはなく、以前はそのような感情など抱かなかったのに、知らぬうちにはまってしまっているな、と感じた。
「もしかしてこのままいくと私も、あんたのことを運命の人とか言い出しちゃったりして?」
想像するとなんともこっぱずかしい話だが、ついに自分にも独占欲が目覚めたということは、そのうちに彼のように周囲の目を気にせず好きオーラを振り撒き彼のことを運命だとか言いふらしたりして歩くようになるのだろうかと、少し身震いを覚える。
それを聞いた彼は案外至って冷静にあしらうのだった。
「それどういう意味?僕のことバカにしてる?きみにはそういうのは似合わないよ。」
そんなことは言われなくても知っていて、そもそも似合う似合わないの問題ではないのだけれど、それは逆に言えば彼が冗談ではなく本気で運命とやらを信じていることの肯定だった。
それだけ真剣に、正直に想いを差し向けてくれていることは確かにありがたい話だ。
けれどそんなのは最初だけだと思ったし、そんな直球を投げかけられても全力で投げ返せるほどの自信なく、疎ましく思っているわけではないのだけれど、温度感の違いというやつは否めなかった。
それでもつい先ほどのできごとで気づいてしまった。
どういうきっかけかはわからないが、この心になんらかの変化が生まれたのは事実。
「でもさ、少なくともあんたの言うようにさ、私は多分変わったんだよ。前よりもきっと」
しかし言いかけて、はっとした。
今ものすごく、とてつもなく「似合わない」ことを口にしようとしたと思い止まる。
その先に続く言葉を聞きたそうにうずうずとしている男を前に、ごまかすようにようやくストローをグラスの中に投下して、シロップやミルクが入っているわけでもないのカランカランとかき回して、心の内に同調するようにグラスから冷や汗がこぼれ落ちると同時に、勢い余って落ちる。
「好きになった。」
言った後になって恐る恐る目線を上げれば、まばたきを複数回繰り返し驚いた顔をしている彼がいて、自分の中の体温が上昇しているのを感じて、前言撤回と大声で訂正したい気もしたけれど突然のアクシデントにそれもできなくて、困惑している間に彼は実にまじめな顔をして言うのだ。
「あのさ、菜美さん」
その真剣な表情に息を呑み、まさか怒らせてしまったのだろうかと不安になって続きを待てば、表情とは裏腹の言葉が空気に触れる。
「抱きしめていい?」
それを聞いた瞬間に羞恥やら焦りやら苛立ちやら様々な感情がこみ上げてきて、勢いよくテーブルに手をついて立ち上がった天羽は「いいわけないでしょ!」と思いの外激しい口調で即答していた。
それに驚いた周囲の人々が先ほどまでとは別の意味で彼女に注目していたので気恥ずかしく、すぐに着席した彼女は身を小さくして消沈、今度は最小限の音量で告げる。
「なに考えてんのさ、こんなところで。」
それは彼を咎めるつもりの言葉だったはずなのに、そんなことは気にかけずにずいぶんと楽しそうに、そしてどこか嬉しそうに彼は言った。
「そういうきみこそ、これ以上他の人の注目を集めるようなことしないでよね。」
それはなんという嫌味だろうかと思ったけれど、確かにそんなことはしていないと完全な否定はできず、恨めしそうに視線で抗議するのみ。
周囲の人々は何事もなかったかのようにすでに自分たちの会話に戻っていて、ただただ口惜しいのでようやくアイスコーヒーを嗜むことで気持ちを落ち着かせる。
顔もタイプじゃないしそんなあざとさ全開の装いにときめきを覚えることもないし、いつだって好きだという気持ちをオープンにしているのは彼の方だったはずなのに、こんなにも面と向かって言葉に出すことは初めてで、よくも毎回毎回こんなことをさらりとした顔で言えるもんだなと感心したのも束の間、まるで先ほどのことがなかったかのように本日の予定について話し始めるこの切り替えの早さはなんだか不意に興ざめ。
天羽菜美一生の不覚をそんなにあっさりと片付けて自分の気持ちに正直に生きるこの男になんだかもう一度腹が立ったので、春の新作ジャケットについて話すその言葉を遮って、言った。
「とりあえずさ、今後そういう格好するのは私の前だけにしてよね。」
自分から話を掘り返しているのは承知している。
しかしこのまま有耶無耶にしてしまうのもどうしてもすっきりしなくて、なにか反撃できる言葉がほしかった。
いかに独占欲という一面を覗かせずにかつスマートに彼に対抗するかということを考えた時、今できる最良の方法は、これ以上余計な視線を集めないようにすることだと思ったのだ。
「え、つまりそれってさ」
相変わらずキラキラと瞳を輝かせて喜んでいるのだということを隠しもしない。
その後に彼の口からこぼれる言葉は多分ろくでもないことだというのはわかっていたけれど、そのまま耳を傾ける。
「きみだけの特別でいてほしいってことでいいんだよね。」
そういったフレーズは一言も口にした覚えはないが、都合のいい脳みそはすぐさま変換、確信、確認をすることを遂行し、あまりの前向きさに恥じらいなどはすでに消滅。
「うん、そうだね、そういうことだよ。」
あきらめて認めれば、大学生とは思えないほど無邪気に笑い、嬉しいなと実に率直に感想を述べる。
それから人がアイスコーヒーを流し込む様子をニコニコと見守っていたかと思うと、その笑顔のままで懲りずに言うのだ。
「ねぇ、もう一回聞くけどさ」
もはやすっかりと店内に溶け込んだ2人は周囲の注目を浴びることなく、ありふれた恋人同士の姿そのもの。
そんな中で彼が放つのは、どう考えてもほとぼり冷めないうちの時期尚早の言葉。
「やっぱり抱きしめていい?」
こんなところで、こんなタイミングで、こんな大勢の前でなにを言っているんだと再度呆れ、今度は冷静に、言い聞かせるように答えるのだった。
「だから、ダメだって言ってるでしょ。」
しかし満更でもない、そんな心地がするのは彼の喜びが伝染したせいか、それともその想いに押し負けたせいないのかはわからないけれど、このお店を出たら手を繋ぐことくらいは許してやろうかとひっそりと思う。
なんでもすぐに目移りしてしまう性格だからずっと隣を並んで歩いていることがあまりないのだけれど、季節は春。
花を愛でるという理由にかこつけて、今日くらいはその隣を独占して、他の誰にも入る余地を与えないのもいいかもしれないと思ったのだった。
「どうしたの、そんなに楽しそうな顔して?」
そのせいか目の前の彼に問いかけられて、完全に油断していたことを省みると、「なんでもない」と我に返ってまじめな顔で返答。
これはもしやそのうち、この人は自分にとっての運命なのだとすっかり信じ込む日も近いのではないかなんて、危機感のような、楽しみのような複雑な感情でグラスの中身を飲み干すのだった。
END
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多分二人で歩いてたら周囲が注目する気がする、という話。
2020。04.29.
虹茅 ユメジ